2012年 11月 01日
内藤廣と若者たち |
最近、本屋で見つけた 内藤廣(*1建築家)さんの本を読み、心に響いた言葉をいくつか紹介します。
本のタイトルは「内藤廣と若者たち」(人生をめぐる18の対話)です。
学生に語りかける内藤さんの言葉に教育者としての真骨頂があるといわれています。この固有の言葉に着目した学生との対話を本にまとめたものです。建築家としての独自のデザインをつくりだす魅力は、この思想からも感じられるものがあります。
海の博物館
1992
設計
内藤廣氏
三重県鳥羽市
学生 人生の中で何かを決めるとき、あまり真剣に考えずに適当な理由で決めていたり、その理由もあとから考えると卑怯だったり・・・なにかをやり通すために一貫して決断する、ということがない気がします。大事なことに正面から向き合うことが怖いし、失敗したときに傷つきたくない。先生はなりゆきや直感で決断することはないですか。
■ 内藤 答えは未来が決める。つまり、ある分かれ道で決断するとき、どっちが正しいかなんて、絶対わからないと思う。そのあとの時間を一所懸命に生きて、その選択を正解にできるかどうか、という生き方しかできない。 だけど決めるときは、正解はないと思いつつも、できるだけ考えて決める。その時の決断が正解かどうかは、いま、よりよく生きているかどうかにかかっている。
■ 想像力というものは、なにごとかを失ったときにはじめておおきな振幅をもつことができるのではないかと思う。つまり、大切ななにかを失う、なにかがなくなるということのなかに、想像力のカギがあるような気がする。
たとえば失恋するとか、大事な人が死んでしまうとか、子供のころに育った家が壊されてなくなるとか。人間は大切なものを失ったとき、それをなにかで補おうとするんだね。そのときに、想像力が最大限引き伸ばされる。だから、失恋もおおいにすればいい。ただ、一所懸命に恋をしなければだめだよ。そこそこなら、小さな想像力しか手にはいらない。
■「幸福という扉は外開きにできている」というキルゲールの言葉がある。つまり、外側から全力で押し広げようと思っても開かない。キルゲールも、きっと悩んでいたんだね。才能という扉も、外開きにできているんじゃないかな。必死になって扉を押し広げようと思っても、決して開かない。無理矢理開けようとしてもだめで、自分の道を必死で探しながらあがいて進んでいるうちに、自然と開くものだと思う。だから、自分に才能や能力があるかどうか、だれに評価してもらえるか、ということにこだわりすぎないで、いまをきちんと生きることが、才能の扉を開けるいちばんの近道だと思うよ。
■ だれか好きな人のために設計する、ということでもいいと思うよ。その好きな人にほめてもらうことだけを考えてやればいいんだよ。その気持ちが深ければ多くの人に共感してもらえるし、もっと深ければ、もっとたくさんの人に共感してもらえる。
■ 大事なのは、相手に納得してもらうことなんですね。
納得と説得はちがう。自動詞と他動詞だね。納得するというのは、受け手の側の自発的な行為であるわけでしょう。だから、説得するより納得してもらうことのほうがたいへんだけど、納得してもらえる状態をどうつくるかということに最善をつくすべきだね。これは、なんでも同じだと思う。最後に納得するときに、言ってる人間の人間性を信頼せずに納得するなんてありえない。あの人が言うんだから納得する、という「あの人」が必ずついてまわる。
■ ぶつかって負けてみることだよね。ぶつかって叩きつぶされると、その先が開けてくる。
まだ、本の途中ですが、この辺にしておきます。人間として未熟な私は、この学生に話している内藤さんの言葉がかなり染みてきます。
まだまだ 人生 勉強です。
安曇野ちひろ美術館
1997
設計
内藤廣氏
長野県北安曇郡
内藤廣 *1 ないとう ひろし
1950年神奈川県生まれ
早稲田大学建築学科卒 同大学院修士課程修了
フェルナンドイゲーラス建築事務所(スペイン)、菊竹建築事務所を経て独立。
2001年東大助教授、教授、副学長を経て2011年退職。
2012.11.1
向井一規
本のタイトルは「内藤廣と若者たち」(人生をめぐる18の対話)です。
学生に語りかける内藤さんの言葉に教育者としての真骨頂があるといわれています。この固有の言葉に着目した学生との対話を本にまとめたものです。建築家としての独自のデザインをつくりだす魅力は、この思想からも感じられるものがあります。
海の博物館
1992
設計
内藤廣氏
三重県鳥羽市
学生 人生の中で何かを決めるとき、あまり真剣に考えずに適当な理由で決めていたり、その理由もあとから考えると卑怯だったり・・・なにかをやり通すために一貫して決断する、ということがない気がします。大事なことに正面から向き合うことが怖いし、失敗したときに傷つきたくない。先生はなりゆきや直感で決断することはないですか。
■ 内藤 答えは未来が決める。つまり、ある分かれ道で決断するとき、どっちが正しいかなんて、絶対わからないと思う。そのあとの時間を一所懸命に生きて、その選択を正解にできるかどうか、という生き方しかできない。 だけど決めるときは、正解はないと思いつつも、できるだけ考えて決める。その時の決断が正解かどうかは、いま、よりよく生きているかどうかにかかっている。
■ 想像力というものは、なにごとかを失ったときにはじめておおきな振幅をもつことができるのではないかと思う。つまり、大切ななにかを失う、なにかがなくなるということのなかに、想像力のカギがあるような気がする。
たとえば失恋するとか、大事な人が死んでしまうとか、子供のころに育った家が壊されてなくなるとか。人間は大切なものを失ったとき、それをなにかで補おうとするんだね。そのときに、想像力が最大限引き伸ばされる。だから、失恋もおおいにすればいい。ただ、一所懸命に恋をしなければだめだよ。そこそこなら、小さな想像力しか手にはいらない。
■「幸福という扉は外開きにできている」というキルゲールの言葉がある。つまり、外側から全力で押し広げようと思っても開かない。キルゲールも、きっと悩んでいたんだね。才能という扉も、外開きにできているんじゃないかな。必死になって扉を押し広げようと思っても、決して開かない。無理矢理開けようとしてもだめで、自分の道を必死で探しながらあがいて進んでいるうちに、自然と開くものだと思う。だから、自分に才能や能力があるかどうか、だれに評価してもらえるか、ということにこだわりすぎないで、いまをきちんと生きることが、才能の扉を開けるいちばんの近道だと思うよ。
■ だれか好きな人のために設計する、ということでもいいと思うよ。その好きな人にほめてもらうことだけを考えてやればいいんだよ。その気持ちが深ければ多くの人に共感してもらえるし、もっと深ければ、もっとたくさんの人に共感してもらえる。
■ 大事なのは、相手に納得してもらうことなんですね。
納得と説得はちがう。自動詞と他動詞だね。納得するというのは、受け手の側の自発的な行為であるわけでしょう。だから、説得するより納得してもらうことのほうがたいへんだけど、納得してもらえる状態をどうつくるかということに最善をつくすべきだね。これは、なんでも同じだと思う。最後に納得するときに、言ってる人間の人間性を信頼せずに納得するなんてありえない。あの人が言うんだから納得する、という「あの人」が必ずついてまわる。
■ ぶつかって負けてみることだよね。ぶつかって叩きつぶされると、その先が開けてくる。
まだ、本の途中ですが、この辺にしておきます。人間として未熟な私は、この学生に話している内藤さんの言葉がかなり染みてきます。
まだまだ 人生 勉強です。
安曇野ちひろ美術館
1997
設計
内藤廣氏
長野県北安曇郡
内藤廣 *1 ないとう ひろし
1950年神奈川県生まれ
早稲田大学建築学科卒 同大学院修士課程修了
フェルナンドイゲーラス建築事務所(スペイン)、菊竹建築事務所を経て独立。
2001年東大助教授、教授、副学長を経て2011年退職。
2012.11.1
向井一規
by hitohito-net
| 2012-11-01 15:59